うだるような暑さも少し落ち着いた夕方四時前。東京の北にある町の、やけに長いプラットホームがある駅に着いた。改札を出て緩やかな坂を下り五差路を越え信号を右折すると目当ての焼きとん屋の前には行列ができていた。開店時間を少し過ぎた頃、暖簾がかけられて店が開いた。焼き場を囲んだ二十人弱が座れるコの字カウンターの焼き場の目の前の席に座ることができた。席がすべて埋まると店名の入った白衣を羽織りながら大将が焼き場の前に現れた。暑いな、この後が地獄だよと顔をしかめておどけて言った。この暑い季節に炭火の前で焼き続けるのはさながら地獄なのだろう。 

 店員がジョッキとレモン、ソーダを作業台に置き、奥から霜のついた焼酎の一升瓶を持ってきた。一升瓶を逆さに振るとシャーベット状の焼酎が出てきた。ジョッキにシャーベット焼酎とレモンを入れ、栓を抜いたソーダを真っ逆さまに注ぐ。それで終わり。氷は入れない。いかにもビールしか飲まなそうな中年男性がみなレモンサワーを頼んで喉を鳴らして飲んでいる。すぐにでも飲んでみたかったが、こちらもシャーベット焼酎を使った「生ホッピー」で飲み始めることにした。 

 この焼きとん屋では串の注文など無用。大将が絶対的な自信でもって様々な部位を順番に出してくれる。お通し代わりのクレソンサラダをつまみながら出されるのを待っていればいい。焼き場の前のざるに三十本ほどの串が置かれるとお客の中からちょっとした歓声があがる。まずはサシの入った牛から。焼きとん屋で牛とは意外だ。レアでいいだろ?とカウンターの内側からほぼ一周して訊いてまわる大将の自信に満ちた顔。軽く焼いてタレ壷に突っ込み目の前の皿に置かれる。その手際の良さに男の自分でも惚れ惚れする。いや男だからこそか。口に入れるとすぐに笑顔がこぼれてしまったのが自分でもわかった。美味くて泣けるだろ?君も泣けるし俺も泣けちゃう、と大将はおどけた。この焼きとん屋は串は一律同じ値段だが、この和牛だけはとてもそんな値段で出せる仕入れ値ではないとのこと。ほぼコース料理のようなシステム上、赤字だが一本サービスのように出しているのでおかわりは禁止なのだそうだ。 

 次は上シロを塩で焼く。表面はところどころカリっと香ばしく焼かれているが中身は口の中ですぐに溶けた。こんなうまいシロ食べたことないだろ?試しに普通のシロと比べてみてよ、と挑発される。というわけで次はシロをタレで焼く。上シロほど肉厚ではないが美味い。そもそもタレがものすごく美味い。生ホッピーを二杯飲み干して次はレモンサワーを頼む。ジョッキの縁に塩が付いている。氷が入っていないということは時間が経つと冷えこそ少しなくなるが味が薄まることはないので最後までおいしく飲める。次のレバーは大将いわく超ベリーレア。甘さが広がる。隣のお客が食べていた牛刺しが気になった。落ち着いた一瞬を狙って注文する。店に入って唯一の食べ物の注文をした。噛まないでよ、と食べ方を指定される。38℃で溶ける肉だからよ、と。言われたとおりに噛まずに楽しむ。 

 チレという聞き慣れない部位が出た。脾臓だよ、と言われたがどこのことか分からない。塩でもタレでもなくニンニクバターを乗せて食べる。レバーと似たような角のある見た目だがレバーよりも弾力のある、食べたことのない食感。ムール貝やエスカルゴに使われるニンニクバターとチレとそしてレモンサワー。不思議な組み合わせ。その後はねぎまにタン、カシラにハツ。すべて絶妙な焼き加減で塩で食べる。最後は軍鶏にサルサソース。大将の味の探求は国境を越える。おいしい酒に酔い、本物の焼きとんに参る。面識のない隣のお客と共に味に驚き、大将の気風のいい話にこれまた酔う。あっという間の二時間。映画を観た後のような気持ちの昂ぶりで店を出る。 

 芝浦まで毎日仕入れに行く大将に本当の意味での「ご馳走様。」